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中国の年中行事

2008-5-23 18:00:16 管理人

中国の年中行事 
●元旦(1月1日)
中国の新年は旧暦の新年(春節)を祝うため、日本や欧米諸国のように、新暦の新年を祝う習慣はないが、1月1日の1日だけ、企業などは休みとなる。
●春 節(旧暦1月1日、西暦2月上旬頃)
  
 中国では旧暦の元日を春節といい、3日まで休日とし、賑やかに祝われる。おいしい食べ物や新しい服を作ったり、対聯を貼ったりして楽しむ。昔から爆竹を鳴らし、邪気を払い、天地と祖先を祭るならわしがあったのだが、1994年からは北京市などの政府令により、 
安全のため、北京市などの地区ではそれは禁止されるようになった。人々は互いに年始回りをし、一年の平安と幸福を祈り合う。こうした喜びにみちた雰囲気の中で、新しい年が始まるのである。 
漢民族の習慣では、春節前の旧暦12月8日に、米や粟、もち米、高梁、落花生、ナツメ、小豆、くるみの8種類の穀物でつくったおかゆ―――「臘八粥」を食べる。昔仏教寺院で釈迦が悟りを開いたのを記念してつくられたもの。一年の豊作を祝う意味もあるという。旧暦12月23日は、「竈王爺(かまどの神)」を祭る。昔は「祭竈」といい、「関東糖」とか「高梁飴」とかを供えた。「竈王爺」が天にこの世のことを報告するとき、変な告げ口をせず、甘いことを言ってもらうためだという。 
大晦日の行事は実に多い。よく行われるものに次の幾つかが挙げられる。 
(一)「春聯」を貼る。
「春聯」は対句の一種で、2枚に書き分けて家々の玄関の左右に分けて貼る。 
「春聯」の前身は「桃符」である。昔、中国人の先祖は、新年になると玄関の左右に桃の板張りをかけ、そこに「神茶」「郁塁」という二人の神様の名前を書いた。桃の木には悪魔を払う力があるという言い伝えによるものであろう。さらに、二人の神様の名前を書いて悪魔退散を祈ったのである。964年、後蜀の皇帝孟昶は桃の木の板に「新年納余慶、嘉節號長春。(新年にあり余る慶びを納れ、嘉節に長の春を号ぶ)」という句を書きしたためた。これが中国最初の「春聯」といわれている。今、「春聯」に書く言葉は新年を祝い、豊年を祈り、事業が栄え、人が健康であることを祈る言葉である。その言葉には、文学性、言葉の美学、芸術性、時には戯れの気合が満ちている。 
(二)「年画」を貼る。
「年画」は、新年を祝い吉祥を祈るものとして、特に農村では欠かせぬものである。漢の時代(25年〜221年)に始まり、唐、宋時代(618年〜1271年)にかけて発展した。最初は「門画」或いは「門神画」と呼ばれた。やはり魔除けのためであり、今の形になったのは、清朝の光緒時代(1881年〜1911年)である。 
中国の伝統的「年画」は木版水印が多い。線が単純で色彩が鮮やかである。人気のある絵柄は春牛、金鶏、子供、花鳥、景色、神話、伝説、歴史物などで、いずれも活気にあふれている。 
「年画」の名産地は蘇州の桃花塢、天津の楊柳青、山東の?坊であり、「三大年画の里」とよばれている。もっとも有名なのは楊柳青で、最近は海外からの注文も活発になっている。 
(三)「福」の文字を貼る。
   
除夜になると家々には大小とりどりの「福」の文字が貼られる。ふつうこの「福」の字は逆さまに貼りつけられる。人々がこれを見たとたん、おもわず、「?,福倒?。(おや、福が逆さまだ。)」と言わせるためである。「倒」と「到」は発音が同じなので、「福が到った」というおめでたい意味になるのである。 
(四)「団円飯」を食べる。
「団円飯」は一家団らんの食事である。一年中でもっとも豪勢な食事といってもよい。料理にはすべて美しい祝意がこめられている。魚の料理は不可欠である。「魚」と「余」は音が同じであるので「どの年も余りあるように」という気持ちがこもっているのである。 
(五)「守歳」をする。
「守歳」とは、大晦日の夜一睡もせず夜を明かすこと、こうして新しい年の到来を迎えるのである。麻雀やトランプを楽しみ、テレビで「迎春の夕べ」という特別番組などの年越し行事を見ながら餃子をつくる。除夜の鐘を開くときに餃子を食べる。「更歳餃子(年越し餃子)」である。ところによっては、「長寿うどん」を食べて長寿を祈ったり、「湯円(糯米の粉でつくった餡入りだんご)」を食べて家族の団らんを祝うこともある。 
(六)新年のあいさつをする。
「新年明けましておめでとう。」のあいさつは夜が明けきらぬうちに始まる。年少者が年配の方に新年のあいさつをすると、お年玉がもらえる。元旦の日に友達同士や隣近所の人が顔を合わせると、すぐ、「過年好(新年おめでとう)」とあいさつし合う。 
この年回りは2日続き、そのうちに、「?廟会」といってお寺やお宮へ行き、催し物を見たり伝統的祭り活動に参加したりして帰ってくる人もいる。 
中国人が旧正月を祝う習慣は、2000年前の西漢太初元年から始まった。当時は「歳」「年」と呼ばれており、「春節」と改められたのは80年余り前のこと。辛亥革命後の1912年、中国は西暦紀元を採用し始めた。以後、新暦の元旦を新年とし、旧暦の元旦は「春節」と呼ぶようになったのである。旧暦の元旦は立春前後になることが多く、「春節」とは、その時期にふさわしい名といえる。 
注釈 
1.    対聯 
上下両句からなり、字数が等しく、句法の相似た、意味の上でも関係のある対句のこと。春節に貼る対聯を「春聯」という。 
  
1.    関東糖 
山海関以東の地、または東北地方産のあめ。麦芽、米、雑穀などの水飴でつくる。年越しに食べる。
1.    辛亥革命 
1911年(辛亥の年)中国で起こった民主主義革命。10月10日武昌新軍の挙兵とともに、全国に革命の動きが伝播。12年1月に孫文を臨時大統領とする中華民国が成立。清帝退位とひきかえに、袁世凱が臨時大統領となったが、独裁強化をはかったため、第二革命、第三革命が起こった。 
●元宵節(旧暦1月15日、西暦2月の春節の2週間後))
旧正月の15日は中国の伝統的祭日「元宵節」である。これをまた「上元節」とも「灯節」とも称する。「上元」と称するのは、1月、7月、10月の各15日をそれぞれ三つの元とし、上元、中元、下元とする道教の三元説にもとづく。唐以来正月15日の節令はこの道教の上元の名で呼ばれてきた。「灯節」と称するのは、1月15日の夜に灯籠祭りが行われたからである。家々の門前や道路には色鮮やかな灯籠が飾られ、街は竜や獅子の形をした「行灯」と呼ぶ灯籠や練り歩く灯籠見物の人々で賑わった。この行事は今日まで伝えられ、人々に喜ばれる楽しい祭りの一つとなっている。 
では、なぜ「元宵節」といえば観灯という行事があるのであろうか。 
『史記』の記述によると、西漢の初期、漢文帝周勃(紀元前180〜紀元前140年)が諸呂の乱をおさめた日がちょうど1月15日であった。それ以後、漢文帝はこの日を元の日とし、夜になると宮殿を出て民衆とともに祝った。元の日の夜ということから「元宵」と名づけ、祝日と定めたという。当時はまだ燃灯の行事がなかったのだが、漢明帝の永平10年(紀元67年)ごろ蔡?がインドから仏教を持ちこみ、仏教を振興させるため、大神変月の満ちる日、インドの12月30日、すなわち中国の正月15日に灯を燃かしめたそうである。 
こうして「元宵節」に燃灯の風習は仏教崇拝の祭礼として漢代に始まった。唐、宋の時代に至ったときいっそう盛んになり、灯籠の形も素材も豊富多彩になった。中宋の末期には「灯楼」が出現した。これは楼状に組んだやぐらに灯飾をほどこしたものである。玄宗が洛陽に行幸中の上元に建てられた灯籠は幅20間(約36メートル)、高さ150尺(約46メートル)あり、これに彩絹を結び珠玉金銀で飾ったものは華麗で壮大であった。また、玄宗の天宝時代に韓国婦人(楊貴妃の姉)が百本の灯樹をつくった。この高さ80尺(約25メートル)の灯樹を高い山の頂に立て、上元の宵に点火させ、百里離れたところからもみえるようにさせたのである。このような「灯楼」「灯山」は明の中ごろまでは盛んに建てられた。しかし万暦13年(1585年)にその火の不始末から千余家を延焼する火災が起こり、これによってその建立が禁止され、衰退していった。そのかわりに大衆的なものが盛んになった。15日から18日にかけて北京の王府井大街灯市口と前門外あたりで大きな提灯市場がもうけられ、灯の売買、観賞、競争の場として栄えた。 
現代に入っても、元宵節に観灯の風習がある。元宵節の夜になると、各公園では「観灯の会」が開かれ、観灯に来る人々で賑わう。今日の灯籠は伝統的な造りを参考にし、現代的な手法を取り入れ、昔に劣らぬ趣ある美しさを見せている。採光手段は灯油やろうそくでなく、電気を使って希望通りの効果が出せる。形や素材も多様で、動物をモデルにしたかわいらしいパンダの灯もあれば、獅子の灯や虎の灯もある。また、天女嫦蛾が月にのぼるもの、天女が花を撒くもの、孫悟空などの昔話にでた人物を主人公にしたものなどもみられる。この形の違った各種の灯が夜空の中で奇を競い、観光客の目を楽しませている。 
多くの祭りにその日特に用いられる食品があるように、元宵節にも「元宵」という糯米でつくられた団子を食べる習慣がある。宋代には北宋と南宋を通じて餡なしの団子が用いられたが、明の時代になると餡の入った団子も用いられるようになった。その具には胡桃と白砂糖、黒胡麻には砂糖など十余種類が数えられる。北京地方では「元宵」と呼び、江南地方では「湯元」という。人々は十五夜に象ったものを食べ、家族の、そして全国各民族人民の団結を願うのである。 
 
注 釈 
1.『史記』 
中国の史書・二十四史の一つ。前漢司馬遷の著。本紀12巻、表10巻、書8巻、世家30巻、列伝70巻の計130巻よりなる。黄帝より古代王朝を経て、漢の武帝に至るまでの歴史を紀伝体で叙述、後世、正史の規範とされた。 
2.嫦蛾 
中国の古い伝説で不死の薬を飲んで月へ登った女。 
3.孫悟空 
中国の長編小説『西遊記』の主人公である猿。石から生まれて仙術を会得、天界を騒がせて如来におさえられる。のち、玄奘三蔵の天竺取経の旅に従い、途中の困難を術で駆使してのりこえた。武器は如意棒。乗り物は筋斗雲。兄弟弟子は猪八戒と沙悟淨。 
●バレンタインデー(情人節)(2月14日)
バレンタインデーは、情人節といい、最近は一般的に若い人たちの間で知られている。
欧米での習慣同様、男性が女性にバラの花束を贈ったり、食事をご馳走したりする。
日本独自に発展した女性から男性にチョコレートを贈る習慣はない。
また、3月14日のホワイトデーを過ごす習慣はない。
●婦女節(3月8日)
国際婦人デーと呼ばれる国連の記念日。
1904年3月8日にアメリカで行われた「女性参政権要求宣言」にちなんでつくられた。
中国では女性のみ仕事が半日休みになるほか、女性に関する会議やイベントなどが開催される。 
●清明節(4月5日頃)
春分の15日後を清明節といい、日本のお盆のように亡くなった人を偲び、墓参りをし、墓の掃除をしたりする。
●労働節(5月1日)
労働者の休日であるメーデーで、全国的に三連休となり、黄金周とも言われる。
休暇を利用して旅行に行く中国人も多く、日本国内のゴールデンウィークとも重なり観光地はかなり混雑する。この時期は旅行代金も高い。
●児童節(6月1日)
国際子供デーにちなんでつくられた祝日で、14歳以下の児童は1日休みとなる。
両親と行楽地に出かけたり、プレゼントをもらったりする。
●端午節(旧暦5月5日、西暦6月中旬頃)
「仲夏端午,橋は初なり。」(『風土紀』)。「端午」の「端」は初めての意味で、「端午」とは5月の夏至の初めての「午」の日のこと。昔は5日とは限らなかった。それが漢代以後に「午」が「五」に通じ、また、「五」が重なるところから、5月5日に決まったという。それで、中国では「端午節」は「重五」、「重午」、「端陽」、「五月節」などとも呼ばれる。
仲夏5月は一年中もっとも暑く、万物が盛んなる時期である。農耕によってきわめて重要な時期であったが、百虫の繁殖が盛んになり、悪疫をもたらす時期でもあった。それゆえに、昔、人々はこの日に薬草をとり、ヨモギの人形や龍虎、剣、鞭に見立てた菖蒲の葉を門に飾り、菖蒲酒を飲んだりした。ヨモギは古くから体内の毒気を取り去るといわれる薬草であり、菖蒲の葉は不詳を払うものと見られていたので、その強い香気と薬性とにより、災厄を除き、病魔をさける意味であろう。 
端午に行われる行事で今日まで守られつつあるのは、粽子(ちまき)を食べることと竜船競渡(ドラコンレース)である。
粽は古くは「角黍」といった。早くも晋の周処の『風土紀』に粽のことが書かれている。当時粽は夏至と端午の両節に用いれられた節食だったようである。唐の時代になって、粽は祭日や一年中食べられる風俗食品として広まった。この粽の造りであるが、『風土紀』では、黏米に粟を雑ぜ、菰の葉で包んでこれを濃い灰汁で煮熟するといい、『荊楚歳時紀』では、新しい竹筍を斬って筒粽につくるという。つまり荊楚地方ではこの筒粽が用いられ、江南地方では菰粽が用いられたのである。  
端午節に粽を用いる由来についてもっとも知られているのは屈原の話である。屈原は楚の国の忠臣であった。悪逆無道に立ち向かい、国の繁栄をめざし、王に諫言したが受け入れられず、統治者の謀計に陥って失脚し、江南に流されてしまう。15年間の放浪中、屈原は『離騒』、『九歌』、『九章』などのすぐれた詩篇に託して、憂国憂民の気持ちをのべた。そのうちに楚の国が秦に滅ぼされてしまう。屈原は祖国の運命に殉じ、石をかかえて汨羅江に身を投じた。紀元前3世紀5月5日のことである。それ以来、人々は屈原の死を悼み、命日になると、竹の筒に米を入れて川に投げ、その霊に捧げた。さらに蛟や竜を追い払い、彼を小船で救いあげる意味の遊びが現代までも伝わって、竜船競渡(ドラコンレース)になったともいわれる。竜船競渡も今では喜びの歌や踊りに世俗的な娯楽性が加味され、端午節には汨羅江をはじめ、長江流域の人々が行う。レースはふつう青竜船、黄竜船、白竜船など幾組かに分けられて行われる。船の上にかかげられた竜旗も傘も船漕ぎの名手の服も同じ色である。出発の砲令が鳴ると、竜船は弓からぬけだされた矢のごとく一斉にとびだす。江面にこうした活気にあふれた色とりどりの竜船が先を争っている光景は忘れがたいものである。 
これらの習慣は平安時代以降日本にも伝わった。5月5日になると、人々は粽や柏餅を食べ、菖蒲湯に入る。柏餅を食べるのは、柏の木は新芽が出ないかぎり古い葉が落ちないので、家計が絶えないと縁起をかつぐためという。また、この節句に付き物の菖蒲が尚武に通じるところから、男の子の節句へと移っていった。男の子の健やかな成長と立身出世を願って、鯉のぼりや武者人形、よろい、兜が飾られるようになったのである。 
注釈 
1.    離騒 
楚の屈原の自伝的長編詩『楚辞』の代表作。「離」は遭う、「騒」は憂いの意。王から裏切られ、信ずる道が行われず、祖国の運命への絶望と煩悶から死に至る悲愁と苦悩をうたう。
1.    汨羅江 
湖南省北東部の川。湘江に注ぐ。長さ200キロメートル。屈原の投身したところとして有名。 
1.    柏餅 
カシワの葉で餡入りのしん粉餅を包んだ菓子。おもに端午節につくる。 
1.    鯉のぼり 
紙または布でコイをかたどった吹き流しの幟。端午節に戸外へ立てる縁起物。立身出世のたとえであるコイの滝のぼりを象徴。
1.    武者人形 
端午節に飾られる人形類。おもによろい、兜をつけた武者物が多い。武者人形の起こりは端午節に衛府の官人が金銀飾の儀礼用の甲冑をつけて騎射を行った儀式のなごりであるといわれている。
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●香港行政区記念日(7月1日)
1997年に英国から香港が返還された日で、共産党の記念行事が行われる。
●建軍節(8月1日)
1927年8月1日の中国共産党の武装蜂起を記念する日で、解放軍の関係者のみ半日休みとなる。 

●中秋節(旧暦8月15日、西暦9月下旬頃)
 「中秋」とは、秋の3ヵ月の真ん中にあたる月という意味。旧暦8月の満月の日を「中秋節」という。8月15日の月は仲秋の名月といわれ、一年のうちもっとも明るく美しい月といわれて観賞されてきた。唐以来さかんに行われ、詩文の例も多い。 
 宋代の文学者で詩人の蘇東坡は、詩の中でこう詠っている。「人有悲?離合,月有陰晴?缺」(人には悲喜離合があり、月には晴れるときと雲のかげ、満ちるときと欠けるときがある。)「但愿人長久,千里共嬋娟。」(ただ、遠く離れていても、永久の無事を祈り、共に美しい月をめでよう。) 
 今から350年ほど前に書かれた北京の地理風俗案内書「帝京景物略」には、「旧暦8月15日には月を祭る。その祭りに供える果物や菓子はすべてまるいものとする。」と書かれている。人々は月餅やナシ、スイカ、リンゴ、桃などまるいものを供え、月見の宴を開く。十五夜のまんまるい月に託して、円満、幸福、平和を願い、一家団欒を楽しむのである。 
 中秋のお酒は「桂花酒」。桂の花の香りがほんのりと漂うこのお酒のアルコール度は15度とわりあい弱く、甘口で老若男女誰の口にも会うので、月見の一家団欒に向いている。 
 月にまつわる伝説もいろいろあるが、月に舞い登る嫦蛾、桂の木と伐る呉剛、薬をつく玉兎などが有名である。 
日本では醍醐天皇の延喜9年(909)8月15日に初めて「中秋節」を行った。くだって江戸時代に月見が民間でさかんになり、その夜小机の中央に三方をすえ、団子とともに枝豆、サトイモ、クリ、カキなどを盛り、花瓶に秋の七草を生けて名月に供えるようになった。そして市中の高台で月を眺めたり、隅田川に月見船を出して花火をあげたりするようになったのである。 
中秋節は中国に始まり、日本でも行われている節句なのである。 
注釈 
1.    蘇東坡 
(1036年〜1101年)。北宋の政治家、文学者。父の蘇洵、弟の蘇轍と共に、唐宋八大家に数えられている。文学者として、古文、駢分、賦、詩、詞などあらゆるジャンルにわたってすぐれた作品を残しているだけでなく、書家や画家としても一流であった。 
1.    三方 
神仏、貴人に供えるものをのせる四角な白木の台。台の三方に飾りの穴がある。 
1.    秋の七草 
古くから日本の秋を代表するとされる七種類の草花。萩、薄(尾花)、葛、撫子、女郎花、藤袴、朝顔をいう。 
●老師節(9月10日)
老師とは教師のことで、学校などの先生に感謝する日。
この日は孔子の誕生日で、文化大革命の際、教育が荒廃してしまったことへの反省と教師の地位向上を目指して設置された。
生徒からカードや花などを手渡し、日ごろの感謝の意を表す。
●重陽節(旧暦9月9日、西暦10月30日頃)
縁起がよい奇数の数字が二つ重なることからめでたい日と考えられている。
「9月9日に高い山に登って菊花酒を飲めば疫病から免れることができる」という仙人のお告げを聞き、人々が実行したところ、疫病にかからずにすんだことから、高いところに登って菊花酒を飲む習慣ができた。
●国慶節(10月1日)
中華人民共和国建国の記念日。
春節の次に盛大な祝日で、1週間ほどの連休となり、中国国内の観光地はどこも込み合う。
●臘八節(旧暦12月8日、西暦1月26日頃) 
仏教に基づく年中行事で、釈迦が12月8日に悟りを開いたことに由来する。
地方によっては一年の豊作を祈るため、僧侶を中心に「臘八粥」という8種類の穀物で作ったお粥を食べる習慣がある。
●クリスマス(12月25日)
中国の都市部では西洋の影響を受け、若者を中心にクリスマスには食事をしたりプレゼントをしたりする。
街の賑わいやデコレーションなどは、日本ほどの盛り上がりはない。
日本と違いクリスマスのイルミネーションは正月まで続く。

    
 
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